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2006年03月09日

●はじめに

清言集『菜根譚(さいこんたん)』は、明治時代以降の日本では中国の古典の「論語」と並んで広く読まれています。この作品は、中国の明代末期(万暦八年)洪自誠(こうじせい)という士大夫読書人によって編著された心学の箴言集(しんげんしゅう)であり教訓集で、前集222項、後集134項の合計356編の漢文で綴られた「心の戒め」です。

つまり、著者が提言している日々の目標の集大成としての人生の目的達成を確実に実現する「一日一生」という生き方、それを具体的な方法論として支える、事実・発見・教訓・宣言からなる潜在意識を浄化強化する四段論法である「四行日記」の第三段目の「教訓」の素材となると思い超訳に挑戦しました。


 さて、この菜根譚は、過去たくさんの訳注・解説書が出版されましたが、中でも鎌倉・円覚寺の今北洪川老師の弟子、両忘菴開山の釈宗活老師の師にあたる釈宋演老師(元:臨済宗円覚寺派・管長)の菜根譚講話は、漢文の専門家ではない著者にとって有り難い参考書であったと冒頭で付記しておきます。
皆さんもご存知の通り、私は漢文学者でもないし、読者もまた漢文、漢詩の専門家ではないことを想定し、先の釈宗演老師の講話録を参考に、誰にでも理解できるよう日本語による漢詩の読み方(口語訳)と基本的な解釈、および小生なりの意訳(超訳)に挑戦しました。ですから、漢文との差異が気にかかる方は、是非とも原文をお読みください。

なお、本書は超訳ということで、漢文からの意訳の後に、「つまり」「言い換えれば」「翻って言えば」という接頭語を冠して、著者の解釈を述べています。


 さて、「菜根譚」の前提には、「人間本来は完全だ」という人間観があり、その儒教的表現が「性善説」で、「釈尊の悟り」、「禅の思想」である「己の外に仏なし」という基本的な考えと道教の在るべき論という3つの底本があるようです。

つまり、人間は「本来完全」なのですから、自分がそれまで生きてきた人生で埃を被り、結果的に本来の自己を見失い、自分で自分を虐め苦しめてきた、という事に気付き、その後の生き方で姿勢を正せば、悪趣悪縁の呪縛から解放され、拘りの無い、偏りの無い、囚われの無い真に自由な心で自在に生きてゆけるという基本理念があると考えられます。

言い換えれば、「本来の心」に気付き、「本来の自己の強み」を活かせば、活人としてイキイキと生きてゆけるようになる「本来の自己を自力で実現する」ための示唆の書と言えるのです。
なお、菜根譚は、日本文化の底流となっている「禅」の哲学、思想、様式と同じ「人間の本来は善」であるという性善説に類似していますが、「禅」はその生善説にすら、拘らず・囚われず、正に「人間の本来は善≒禅である」という「自力による本来の自己の探求」という大目標があり、それを得て生死を越えるという大目的を悟れと提示している、誤解が無い様にされた。

言い換えれば、『菜根譚』は、大安心の人生楽しむ在家者のための「禅の入門書」とも言えるでしょう。
また、功・薬餌・養生で自己実現を図ることを説いている『道教』も、菜根譚や禅と同じ類の「心学」とひとつであることから類推しても、「人生哲学」は「教学」の枠からも開放され、全ての現象を師として捉え、本来の自己を実現させようという柔軟にして強靱な設計され尽くした内部構造を有していると言えます。勿論、仏教・儒教・道教という「教学」は、各々独自の哲学を述べ、自派の優越性を主張している感がありますが、それは他派を否定しているのではなく、自己主張を方便として、他者との対比を行っていると理解できますので、著者の超訳スタイルの前提は、今日まで生き残っている「人生哲学体系」としての「心学は、何れかに優劣があるなどとは考えず、「縁」の産物として接した者の個性(思考行動様式)に「合う・合わない」という類のものであり、今日の社会を混乱させているキリスト教的な思想「神は神を信じ諂う者は救い、信じない者は地獄に落とし罰する」という過激な思想ではありません。

さらに、著者は、キリスト教の洗礼も受けていますし禅宗の得度受戒も受けて居りますので、邪悪なサタンということに成るようですし、神父様に言わすと、菩薩道は悪魔の行ということになるのでしょう。何れにしろ、私は、生きて行く上で「宗教」の存在は大きく、宗教を持つ人は、それが如何なる宗教であれ、宗教を持たない人に比較して日常から遥かに善意を感じています。

ですから、「自分教」でも「科学教」でも差し支えありませんが、読者の方々も無宗教と言わずに、自分流の「宗たる教」をお持ちください。


最後に、人生指南の書である「菜根譚」は、前集222項は現役、後集134項は退役者をイメージして書かれているので、著者は前集を「活人」、後集を「達人」への戒めとして超訳してまいります。なお、「菜根譚」16世紀・中国「明代」の社会・世界観を移しており、日本に紹介されたのは19世紀初頭・文政5年(1822年)です。つまり、当時は漢字がまだまだ元気であったことを考えると「漢字離れ」が進んだ今日では、やや敬遠されている感がありますが、どんな時代でもイキイキと生きて行こうとする人間の心に変わりはないのですから、優しく楽しく読めるようにして、読んで頂いておけば、いつかは必ず役に立つと考え、慧智流“超訳”をお読みください。

快山慧智(小林慧智)

平成十六年八月