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■後集33項

悠長之趣、不得於醲釅、而得於啜菽飲水。
惆悵之懐、不生於枯寂、而生於品竹調絲。
固知濃所味常短、淡中趣独真也。

悠長(ゆうちょう)の趣(おもむき)は、醲釅(のうげん)に得(え)ずして、菽(しゅく)の啜(すす)り水(みず)を飲(の)むに得(う)。
惆悵(ちゅうちょう)の懐(おもい)は、枯寂(こじゃく)に生(しょう)ぜずして、竹(たけ)を品(しな)し絲(いと)を調(しら)ぶるに生(しょう)ず。
固(まこと)に知(し)る、濃所(のうしょ)の味(あじわい)は常(つね)に短(みじか)く、淡中(たんちゅう)の趣(おもむき)は独(ひと)り真(まこと)なり。

ゆったりとした心というものは、まったりとした酒(美酒)を嗜(たしな)んでいては得られず、豆粥や水を啜(すす)る生活で得られる。
一喜一憂する心というものは、怒りや哀みを滅却した心には生まれず、笛を吹き琴を爪弾くよな喜びや楽しみの心に生じる。
濃厚な味わいは常に一瞬で、淡白な味わいにこそ真実があるというのは最もなことだ。
つまり、達人は濃厚な生き方をする者ではなく、淡白な生き方を選んだ者なのだろう。
言い換えれば、達人は、拘り囚われ偏よった考え方を卒業し、二律背反を両忘した思いに生きているといえる。
慧智(030713)