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■後集120項

耳根似颷谷投響、過而不留、則是非倶謝。
心境如月池浸色、空而不着、則物我両忘。

耳根(にこん)は颷谷(ひょうこく)の響(ひび)きを投(とう)ずるに似(に)、
過(す)ぎ而(しか)して留(とど)め不(ざ)れば、則(すなわ)ち是非(ぜひ)倶謝(ぐしゃ)す。
心境(しんきょう)は月池(げっち)の色(いろ)を浸(ひた)すが如(ごと)く、空(くう)而(しか)して着(ちゃく)せ不(ざ)れば、則(すなわ)ち物我(ぶつが)両忘(りょうぼう)す。

耳の機能は、つむじ風が谷を廻る音に似て、音が止んでしまえば、良し悪しは無くなる。
心と対象となる現象の関係は、月が池に映っている状態に似て、実態でない「空」という状態を認識して執着を捨てれば、物と心という対立関係は両忘される。
つまり、この世の全ては現象であり実態ではない。言換えれば物も心も同根であり、心身一如であるから、そこには対立関係は存在しないのである。
言換えれば、達人は大自然の原理原則は、無対立、無犠牲、循環慣性であることを悟っていなければならない。
慧智(030728)