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■前集90項

舎己毋処其疑。処其疑、即所舎之志多愧矣。
施人毋責其報。責其報、併所施之心倶非矣。

己(おのれ)を舎(す)てては、其の疑いに処(お)ること毋(なか)れ。
其の疑いに処(お)らば、即(すなわ)ち舎(す)つる所(ところ)の志も多く愧(は)ず。
人に施(ほどこ)しては、其の報(みく)いを責(せ)むること毋(なか)れ。
その報(むき)を責(せ)むれば、併(あわ)せて施(ほどこ)す所(ところ)の心も倶(とも)に非なり。

我を捨てたら、それを疑ってはならない。
何故なら、疑いが起きるということは、自分で自分を疑うのだから、自分を辱めているようなものだ。
他人に施しをしたら、見返りを求めてはならない。もし求めれば、施すという高い志を捨てることになるのだ。
つまり、自分の本心を信じ、反対給付を求めない心が出来たら、それが「悟り」というものだ。
言い換えれば、活人が目指す生き様は、自分自身を信じ切って生きるということだろう。
慧智(030612)