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■後集41項

此身常放在閒処、栄辱得失、誰能差遺我。
此心常安在静中、是非利害、誰能瞞昧我。

此(こ)の身(み)常(つね)に閒処(かんしょ)に放在(ほか)せば、栄辱得失(えいじょくとくしつ)は、誰(だれ)か能(よ)く我(われ)を差遺(さけん)せん。
此(こ)の心(こころ)常(つね)に静中(せいちゅう)に安在(おか)せば、是非利害(ぜひりがい)は、誰(だれ)か能(よ)く我(われ)を瞞昧(まんまい)せん。

この身がいつもゆったりとした状態に置いておく事がが出来れば、一般人のいう栄光・屈辱や利害では、誰も私を追い詰める事は出来ない。
この心が常に静寂の中に安らかな状態で置いておく事が出来れば、是非の有無や利害では、誰も私を騙す事は出来ない。
つまり、達人は、たえず心身の自由を確保しておきさえすれば、見せ掛けの価値では動じなくなる。
言い換えれば、譬え達人でも、自分を縛り虐めるような状態にあれば、見せ掛けの利益に目が眩むこともあるから、身も心も絶えず自由にして置くことだろう。
慧智(030715)