«« ■後集45項 | メイン

■後集46項

一字不識、而有詩意者、得詩家真趣。
一偈不参、而有禅味者、悟禅教玄機。

一字識らずして、而も詩意あるは、詩家の真趣を得。
一偈参せずして、而も禅味あるは、禅教の玄機を悟る。

一字(いちじ)も知らざる、而(しか)も詩意(しい)有(あ)る者(もの)は、詩家(しか)の真趣を得る。
一偈(いちげ)も参(さんぜ)に、而(しか)も禅味(ぜんみ)有(あ)る者は、禅教(ぜんきょう)の玄機(げんき)を悟(さと)る。

文字を一事も知らないのに詩心がある人は、詩人の本当の心が理解できる。
仏の教訓を一つも教わらないのに、禅心がある者は禅の奥義を悟れる。
つまり、人間の中には“天才”という者もいて、何も教わらなくても本質から発想して挑んでも間違いがない。
言換えれば、達人の中にも天然型と人工型いるということ。
慧智(030716)