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■後集49項

人情聴鴬啼則喜、聞蛙鳴則厭。
見花則思培之、遇草則欲去之。
倶是以形気用事。
若以性天視之、何者非自鳴其天機、非自暢其生意也。

人(ひと)の情(じょう)は、鴬(うぐいす)の啼(な)くを聴いて則(すなわ)ち喜(よろこ)び、蛙(かわず)の鳴(な)くを聞(き)いては則(すなわ)ち厭(いとう)。
花(はな)を見ては則(すなわ)ち之(こ)れを培(つちか)わんことを思い、草(くさ)に遇(あ)いては則(すなわ)ち之(これ)を去(さ)らんと欲(ほっ)す。
倶(とも)に是(これ)形気(けいき)を以(もっ)て事(こと)を用(もちう)るのみ。
若(も)し性天(せいてん)を以(もっ)て之(これ)を視(み)れば、何者(なにもの)か、自(おのず)から其(そ)の天機(てんき)を鳴(な)らすに非(あら)ず、自(おのず)から其(そ)の生意(せいき)を暢(の)ぶるに非(あら)ざらんや。

人情として、鶯が鳴けば喜び、蛙が鳴くと嫌気がさす。
花を観れば育てたいと思い、草が生えると抜きたいと思う。
それは、何れの場合も表面的な判断の結果である。
もし、それを大自然の法則という視点で看れば、どれも自然な現象で、正に自然に生きているだけなのだ。
つまり、達人は、自然に対し畏敬の念をもってすれば、自分の判断だけが不自然で、その他は全て自然であることに気付くだろう。
言換えれば、自分の心さえ自然に任せることが出来れば、正に悩み苦しむことは全て消滅するということ。
慧智(030716)