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■後集57項

人情世態、倐忽万端、不宜認得太真。
堯夫云、昔日所云我、而今却是伊。
不知今日我又属後来誰。
人常作是観、便可解却胸中罥矣。

人情世態(にんじょうせたい)、倏忽万端(しゅうこつばんたん)、宜(よろ)しく認(みと)め得(え)て太(はなは)だ真(しん)なるべからず。
堯夫(ぎょうふ)云(い)う、「昔日(せきじつ)我(われ)と云(い)う所(ところ)、而今(じこん)却(かえ)って是(こ)れ伊(かれ)なり。
今日(こんにち)の我(われ)は又(また)後来(こうらい)の誰(たれ)にか属(ぞく)すかを知(し)らず」。
人(ひと)、常(つね)に是(こ)の観(かん)を作(な)さば、便(すなわ)ち胸中(きょうちゅう)の罥(けん)を解却(かいきゃく)すべし。

人情や世相は、真実ではなく、千変万化するもので適当に認めて、考え過ぎてはいけない。
堯夫(ぎょふ:北宗の学者で邵雍(しょうよう))は、
「昔の私の立場は今は別人のものであり、今日の私は、将来、誰に属するか解からない」と言っている。
人はいつも、このような見方をしていれば、心にある“わだかまり”は無くなるものである。
つまり、人も世間も全ては流転することを前提に考えれば楽に生きられますよということ。
言い換えれば、達人は過去に拘らず、未来に囚わらず、何事も偏らずに観るという事さえ心がけていれば心労は無くなるという事を覚えておこう。
慧智(030717)