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■後集59項

有一楽境界、就有一不楽的相対待。
有一好光景、就有一不好的相乗除。
只是尋常家飯、素位風光、纔是個安楽的窩巣。

一(いつ)の楽境界(らっきょうかい)有(あれ)ば、就(すなわ)ち一(いつ)の不楽(ふらく)の相対(あいたい)待(たい)する有(あ)り。
一(いつ)の好光景(こうこうけい)有(あれ)ば、就(すなわ)ち一(いつ)の不好(ふこう)の相乗除(あいじょうじょ)する有(あ)り。
只(ただ)是(こ)れ尋常(じんじょう)の家飯(かはん)、素位(そい)の風光(ふうこう)のみ、纔(わず)かに是(こ)れ個(こ)の安楽(あんらく)の窩巣(かそう)なり。

「楽」があれば、その反対である「苦」は相対的な位置に同時に存在するもの。
同様に、良い環境があれば、相対的に悪い環境もあり、掛け割り足し引きすれば、何も無いことになる。
だから、日常的な食事、日常的な環境をあるがままに生きていてこそ、安住できるということ。
つまり、達人としては、世界は所詮、相対的なのだということを悟る必要がある。
言換えれば、達人は、無事是貴人、無を悟り淡々と生きてゆくのが一番よいということ。
慧智(030717)