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■後集60項

簾櫳高敞、看青山緑水呑吐雲煙、識乾坤之自在。
竹樹扶疎、任乳燕鳴鳩送迎時序、知物我之両忘。

簾櫳高敞(れんろうこうしょう)、青山緑水(せいざんりょくすい)の雲煙(うんえん)を呑吐(どんと)するを看(み)ては、乾坤(けんこん)の自在(じざい)なるを識(し)る。
竹樹扶疎(ちくじゅふそ)、乳燕鳴鳩(にゅうえんめいきゅう)の時序(じじょ)を送迎(そうげい)するに任(まか)せて、物我(ぶつが)の両(ふた)つながら忘(わす)るるを知(し)る。

巻き上げられた簾越しに、見る青い山々や緑なる川から雲や霧が湧き出るのを見ていると、大自然が如何に自由自在かを知る。
竹や樹木の枝葉は、燕の子育て鳩の営みに棲家を提供し、時の移り変わりに任せている様子から、物と心という相対的な関係を両方とも忘れてしまう。
つまり、達人は、大自然に身を置き、淡々と暮らしていると、自然の本質である心身一如、物心一如が解かってくるものだ。
言換えれば、大自然こそ達人の人生最後の師といえるだろう。
慧智(030717)