«« ■後集83項 | メイン | ■後集85項 » »

■後集84項

人心有個真境、非絲非竹、而自恬愉。
不烟不茗、而自清芬。
須念浄境空、慮忘形釈。
纔得以游衍其中。

人心(じんしん)、個(こ)の真境(しんきょう)あらば、絲(いと)に非(あら)ず、竹(たけ)に非(あら)ず、而(しか)して自(おのず)から恬愉(てんゆ)す。
烟(えん)ならず、茗(めい)ならず、而(しか)して自(おのず)から清芬(せいふん)あり。
須(すべか)らく念(ねん)浄(きよ)く境(きょう)空(くう)じ、慮(おもんぱかり)を忘れ、形(かたち)釈(と)くべし。
纔(はじめ)て以(もっ)て其(そ)の中(なか)に游衍(ゆうえん)するを得(え)ん。

人の心には既得的に備わっている真の世界があるから、
琴や笛といった楽器が無くても、音そのものを(音楽として)楽しめる。
香を焚き、茶を点て無くても、清らかな香りに浸れる。
そのためには、心を清くして、頭で考えることも身体があることも忘れ、一切の拘り囚われを捨てた状態になって、全てを楽しみと出来るのだ。
つまり、達人とは心身一如を体現し、自然と一体になった心境を得られる事を以て究極の目標が達成できたと言え、それすら感じな無くなってはじめて達人中の達人と言えるのだろう。
慧智(030721)