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■後集83項

性天澄徹、即饑喰渇飲、無非康済身心。
心地沈迷、縦譚談禅演偈、総是播弄精魂。

性天(せいてん)澄徹(ちょうてつ)すれば、即(すなわ)ち饑(う)えて喰(そん)し、渇(かわ)きて飲(の)むも、身心(しんしん)を康済(こうさい)するに非(あら)ざるは無(な)し。
心地(しんち)沈迷(ちんめい)せば、例(たと)い禅(ぜん)を譚(かたら)い、偈(げ)を演(の)ぶるも、総(すべ)て是(こ)れ精魂(せいこん)を播弄(はろう)す。

人間の本性が澄みきっていれば、たとえ飲まず喰わずの状態にあっても、心身を安心な状態に保てていないということは無い。
一方、人間の本性が暗く迷っていれば、たとえ禅について語り、禅心のあるべき姿を示す偈頌(げじゅ)を読み味わおうとも、それは心の無駄使いということになっている。
つまり、悟りの境地にいたる禅道は、心と生活実践であり、頭(知識)と趣味(形式)ではないということ。
言換えれば、達人は禅の修業により、禅の文化的な形式ではなく、実態的生活を体現して悟りの境地を得るのですよということ。
慧智(030721)