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■後集101項

田父野叟、語以黄鶏白酒、則欣然喜、問以鼎養食、則不知。
語以藥袍裋褐、則油然楽、問以袞服、則不識。
其天全、故其欲淡、此是人生第一個境界。

田父野叟(でんぷやそう)は、語(かた)るに黄鶏白酒(おうけいはくしゅ)を以(もっ)てすれば、則(すなわ)ち欣然(きんぜん)として喜(よろこ)び、問(と)うに鼎養(ていよう)を以(もっ)てすれば、則(すな)わち知らず。
語(かた)るに藥袍裋褐(おんぽじゅかつ)を以(もっ)てすれば、則(すなわ)ち油然(ゆうぜん)として楽(たの)しみ、問(と)うに袞服(こんぷく)を以(もっ)てすれば、則(すなわ)ち識らず。
その天(てん)は全(まった)し、故(ゆえ)に其(そ)の欲(よく)淡(あわ)し。此(これ)は是(こ)れ人生(じんせい)第一個(だいいっこ)の境界(きゅがい)なり。

田舎の素朴な農夫は、親しんできたかしわの肉や濁り酒の話で嬉々とした喜ぶが、貴人の食卓につて尋ねても知らない。
粗末な冬着や仕事着の話しをするとユッタリとして話に乗るが、高官の礼服の話を尋ねても知らない。
素朴な農夫は天性自然体で完成されていているが故に、欲望も少なく、其の状態そのままで人生の最高の境地にあるといえる。
つまり、人間本来は、汚れを知らず、それだけで人生の最高の境地にあると言えるが、世情の塵芥に汚れれば、欲望は限りなく大きくなり、決して満足することが無いので、死ぬまで不幸が続くが、欲望の海である都会の塵埃に染まらないで済んだ人は、自然体が則、悟りの境地であり、安心して不満が無い人生最高の境地にあると言える。
言換えれば、達人としては大安心の源泉である本来の心を厭い、汚れないよう自然体で生きつつ、現役時代の心の汚れをゆっくり着実に落として行くのが、人生の仕上げだと考えておくと良いでしょう。
慧智(030724)