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■後集103項

笙歌正濃処、便自払衣長往、羨達人撒手懸崕。
更漏已残時、猶然夜行不休、咲俗士沈身苦海。

笙歌(しょうか)正(まさ)に濃(こま)やか処(ところ)、便(すなわ)ち自(みずか)ら衣(ころも)を払(はら)って長(なが)く往(ゆ)く。
達人(たつじん)の手(て)を懸崕(けんがい)に撒(さん)するを羨(うらや)む。
更漏(こうろう)已(すで)に残(のこ)る時(とき)、猶然(ゆうぜん)として夜(よる)行(ゆ)きて休(やす)まず、俗士(ぞくし)の身(み)を苦海(くかい)に沈(しず)むるを咲(わら)う。

音楽や歌声が正に絶頂にある時、席を立ち振り返りもしないで帰ってしまうのは、達人が手放しで断崖絶壁を歩くようで羨ましい。
夜も更けて水時計の水が無くなったにも関わらず、悠然として夜遊びを止めないのは、俗人が身を落として滅びるように滑稽である。
つまり、達人は何時でも何処でも主体的であり、自信に満ちた滅り張りのある行動をするが、俗人は付き合いと称するように、客体的で自立心が無くズルズルとするから身を持ち崩すと言っている。
言換えれば、達人は其の人生の完成度を増し続ける人であり、俗人は其の人生を破壊し続ける人だと言える。
慧智(030724)