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■後集104項

把握未定、宜絶迹塵囂。
使此心不見可欲而不乱、以澄吾静体。
操持既堅、又当混迹風塵。
使此心見可欲而亦不乱、以養吾円機。

把握(はあく)未(いまだ)定(さだ)まざれば、宜(よろ)しく迹(あと)を塵囂(じんごう)に絶つべし。
此(こ)の心(こころ)を欲(ほっ)すべきを見(み)ずして、乱(みだ)れざらいしめ、以(もっ)て吾(わ)が静体(せいたい)を澄(す)ます。
操持(そうじ)既(すで)に堅(かた)くば、又(また)当(まさ)に迹(あと)を風塵(ふうじん)に混(こん)ずべし。
此(こ)の心(こころ)を欲(ほっ)すべきを見(み)て、亦(また)乱(みだれ)ざらしめ、以(もっ)て吾(わ)が円機(えんき)を養(やしな)う。

自分の心を自分のものに出来なければ(主体性が確立出来ていなければ)、(欲しい物で満ち溢れている)俗世間と断絶し、心を欲しい物から遠ざけ、心乱れる状態を作らないで、静かで綺麗な本来の心を澄ましなさい。
主体性が堅固に確立していれば、俗世間に在って、その昔なら欲しいと思ったであろうものを見ても、乱れない心を感じ、更に完全な心を取り戻しなさい。
つまり、人生が未完成なものは、欲望を抑えるより、欲望が叶わない状態に自分を追い込んで修行することで悟りのチャンスを活かし、悟ったかどうかは一度、欲望の俗世間に戻り、自分の欲望が疼くかどうか点検し続けなさい、ということ。
言換えれば、自立出来ない欲望人間は、一度は出家修行をして悟りのチャンスを活かし、そして還俗し、達人として生き続けなさいということ。
翻って言えば、それが正に達人の心と活人の技を備えた貴人といえるのです。
慧智(030724)