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■後集106項

山居胸次清洒、触物皆有佳思。
見孤雲野鶴、而起超絶之想、遇石澗流泉、而動澡雪之思。
撫老檜寒梅、而勁節挺立、侶沙鷗麋鹿、而機心頓忘。
若一走入塵寰、無論物不相関、即此身亦属贅旒夷。

山居(さんきょ)すれば、胸次(きょうじ)は清洒(せいしゃ)にして、物(もの)に触(ふる)れて皆(みな)佳思(かし)有(あ)り。
孤雲野鶴(こうんやかく)を見(み)ては、超絶(ちょうぜつ)の想(おも)いを起(おこ)し、石澗流泉(せきかんりゅうせん)に遇(あい)ては、澡雪の思いを動かす。
老檜寒梅(ろうかくかんばい)を撫(ぶ)して、勁節挺立(けいせつていりつ)し、沙鷗麋鹿(さおうびろく)を侶(とも)として、機心(きしん)頓(とみ)に忘(わす)れる。
若(も)し一(ひと)たび塵寰(じんか)に走(はし)り入(い)らば、物(もの)の相関(そうかん)せざるに論(ろん)無(な)く、即(すなわ)ち此(こ)の身(み)亦(また)贅旒(ぜいりゅう)に属(ぞく)す。

俗世間を離れ深山に住むと、心は清清しくなり、見聞きし触れるものは皆、素晴らしい趣を感じさせる。
一片の雲や野生の鶴を見るにつけ、世俗を超越した思いが起こり、奇岩や
湧き出る泉を見れば心は洗い清められる思いが起きる。
檜の古木や寒中の梅に触れると、真っ直ぐな生き方が自覚され、砂浜のカモメや群れ遊ぶ鹿と戯れると、邪心を忘れる。
もし一回でも、街中の埃にまみれれば、自分と関わりのない事で、自分の立場が危険に巻き込まれてしまう。
つまり、環境というのは人間の生き方に大きな影響を与えるが、純より不純の方が強いようで、白色に黒を僅かでも混ぜれば直ぐにくすみが出るが、黒に僅かな白を混ぜても黒は容易に白くならないのと同じようだ。
言換えれば、達人は、大安心の境地を得ていても、油断すればあっという間に俗人に逆戻りすることを覚えておき、日々精進を忘れてはならないという事だ。
慧智(030725)