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■後集126項

非分之福、無故之獲、非造物之釣餌、即人世之機妌。
此処着眼不高、鮮不堕彼術中矣。

分(ぶん)に非(あら)ざるの福(さいわい)、故(ゆえ)無(な)きの獲(えもの)は、造物(ぞうぶつ)の釣餌(ちょうじ)に非(あら)ざれば、即(すなわ)ち人世(じんせ)の機妌(きせい)なり。
此(こ)の処(ところ)眼(め)を着(つ)くること高(たか)からざれば、彼(か)の術中(じゅっちゅう)に堕(お)ちざること鮮(すくな)し。

分不相応な幸福や理由も無く手に入った物は、造物者が人を釣上げる餌でなければ、人の世に仕掛けられた落とし穴である。
このような場面の出会った場合、目の付け所を高くしておかないと、その計略に引っかからないことは無い。
つまり、人間は分相応ということを忘れてはならないということだ。
言い換えれば、達人は、分相応を超えていると思われるような物事には、近付かない賢明さが安心して生きてゆく上の大事な要素となることを肝に銘じておこう。
慧智(030730)