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■後集127項

人生原是一傀儡。
只要根蒂在手。
一線不乱、巻舒自由、行止在我。
一毫不受他人提掇、便超出此場中矣。

人生(じんせい)は原(もと)是(こ)れ一(いつ)の傀儡(かいらい)なり。只(ただ)根蒂(こんてい)の手(て)に在(あ)るを要(よう)す。
一線(いっせん)乱(みだ)れず、巻舒(かんじょ)自由(じゆう)なれば、行止(こうし)我(われ)に在(あ)り。
一毫(いちごう)も他人(たにん)の提掇(てつてつ)を受(う)けざれば、便(すなわ)ち此(こ)の場中(じょうちゅう)を超出(ちょうしゅつ)せん。

この世に今生きている人間は、元来、一体のあやつり人形のようなものだ。
だからこそ、その根元は自分で握っている必要があるのだ。
糸の一本も乱さず、自由自在に巻いては伸ばしていれば、全ては自分の意志次第となる。
他人の干渉を少しも受けなければ、操り人形として動く舞台を抜け出すぇるだろう。
つまり、社会的なマインドコントロールを受けている客体的、受動的な俗人は、見えない糸に踊らされ、自分の人生を実現できないが、主体的で、能動的な達人は操り人形ではなく、正に本来の自分を実現している人間ということになるのだ。
言い換えれば、達人は、流行だ、潮流だと言われるようなマスコミに操作された価値とは絶縁し、主体的な人生を送ることが人生を成功させるコツということだろう。
慧智(030730)