«« ■前集45項 | メイン | ■前集47項 » »

■前集46項

人人有個大慈悲、維摩屠劊無二心也。
処処有種真趣味、金屋茅簷非両地也。
只是欲蔽情封、当面錯過、使咫尺千里矣。

人々、個の大慈悲あり、維摩(ゆいま)・屠劊(とかい)の二心(ふたごころ)無きなり。
処々、種の真趣味あり。金屋(かなや)・茅簷(ぼうえん)も両地にあらざるなり。
只だ是(こ)れ欲蔽(よくおお)く情を封(ふう)じ、当面に錯過(さっか)せば、咫尺(しせき)を使(し)て千里(せんり)ならしむ。

誰にでも慈悲深い仏心があり、維摩居士もと屠殺人や死刑執行人も違いはない。また、立派な館でだろうと、粗末なあばら屋であろいうと、そこなりに趣がある。
だから、誰であれ、欲に溺れず、人情に流されないようにしなければ、ほんの小さなズレが、時間とともに、大きな違いになる。
つまり、活人は、それが誰で、どんな事を、どこでしているかでは、善悪は決まらないし、心構えで人生の全てが修養へ道となるのだ。
言い換えれば、人生是道場ということなのだ。
慧智(030604)