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■後集71項

纔就筏便思舎筏。方是無事道人。
若騎驢又復覓驢、終為不了禅師。

纔(わず)かに筏(いかだ)に就(つ)くや便(すなわ)ち筏(いかだ)を舎(す)てんことを思(おも)わば、方(まさ)に是(こ)れ無事(ぶじ)の道人(どうじん)。
若(も)し驢(ろ)に騎(の)りて又復(またまた)驢(ろ)を覓(もと)むれば、終(つい)に不了(ふりょう)の禅師(ぜんじ)と為(な)らん。

いかだに乗るや否や、いかだを降りる事を心する人こそ、悟りを得た人。
ロバ乗って、その上にロバを探すようでは、到底悟りを得られない禅坊主。
つまり、自分探しと称してカルチャーセンターだ旅行だとチャラチャラしている人がいるが、看脚下、自分は自分の外になんかない。先ずは足るを知れ。
言換えれば、禅坊主は菩薩代理業、迷いの世界発、悟りの世界行きの特別快速「いかだ号」の船頭。降りては説法、乗せては降ろす。降ろしては戻り、降りて説法、また乗せて又降ろす。悟りの境地を楽しんでいる閑なんか無い。
翻って言えば、達人とは菩薩補佐。自分ひとり悟って満足していてはいけない。乗ったら降りて、乗せる側に回れということ。
慧智(030718)