«« ■後集72項 | メイン | ■後集74項 » »

■後集73項

覊鎖於物欲、覚吾生之可哀。
夷猶於性真、覚吾生之可楽。
知其可哀、則塵情立破、知其可楽、則聖境自臻。

物欲(ぶつよく)に覊鎖(きき)すれば、吾(わが)生(せい)の哀(かな)しむべきを覚(おぼ)ゆ。
性真(せいしん)に夷猶(いゆ)すれば、吾(わ)が生(せい)の楽(たの)しむべきを覚(おぼ)ゆ。
其(そ)の哀(かな)しむべきを知(し)らば、則(すなわ)ち塵情(じんじょう)は立(た)ちどころに破(やぶ)るる。
其(そ)の楽(たの)しむべきを知(し)らば、聖境(せいきょう)も自(おのず)から臻(いた)る。

物欲に縛られると、自分の人生に悲壮感が湧いて来るのを感じる。
本性に安じられと、自分の人生に爽快感が湧いて来るのを感じる。
その悲壮感を体験すれば、欲望はたちどころに破砕される。
その爽快感を体験すれば、悟りの境地には自然と導かれる。
つまり、何事も頭で考えているのではんく、体験することなのだ。
言換えれば、達人は地位、財産、名誉の全てを捨ててみることだ。そこにこそ本当の安心が生まれ、自然と悟りの境地である大安心が得られるのだ。
翻って言えば、悟ったから捨てられるのではなく、捨てたから悟れるとおいうことを肝に銘じておきなさい。
慧智(030718)