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■後集78項

真空不空。
執相非真。
破相亦非真。
問、世尊如何発付。
在世出世、狗欲是苦、絶欲亦是苦。
聴、吾儕善自修持。

真(しん)に空(くう)ずるは空(くう)ぜず。
相(そう)に執(しゅう)するは真(しん)に非(あら)ず。
相(そう)を破(は)するも亦(また)真(しん)に非(あら)ず。
問う、世尊(せそん)は如何(いか)にか発付(はっぷ)するや。
「在世(ざいせ)出世(しゅっせ)、欲(よく)に狗(したが)うも是(こ)れ苦(く)、欲(よく)を絶(た)つも亦(また)是(こ)れ苦(く)、我儕(われ)が善(よく)自(みずか)ら修持(しゅうじ)するを聴(き)け」。

真に自由であるとは、全てを否定することではない。
現象に執着するとは、真実では無い。
現象を否定しても、真実ではない。
質問する。「釈尊は、どのように仰っておられるだろうか」
「在家の者でも、出家の者でも、欲望に従うのも、断つのも供に苦であり、この問題を解決するには、我々は自発的な心身の修養に待つしかない」と言われるだろう。
つまり、欲望に従って生きれば生きる苦労があり、欲望を捨て去って生きるのも苦労がある。同じ苦労をするなら、欲望に従い何かを手に出来たとしても、次にはもっと、ないしは無くしたくないという欲望の連鎖で苦しむより、欲望を捨てるまでは苦しいが、捨て去れば苦しみ心其のものを捨ててしまうに出から二度と苦しむことの無い人生である、多くを得てきた達人にとっては、それ以上手に入れ、無くす不安を増大させるより、捨て去る人生が、達人には似合いである。
言換えれば、そもそも達人と言われる人間は欲望極め、何が大安心なのかを解かった人間といえるかもしれない。
慧智(030720)