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■後集79項

烈士譲千乗、貪夫争一文。
人品星淵也、而好名、不殊好利。
天子営家国、乞人号饔飧。
位分霄壤也、而焦思、何異焦声。

烈士(れっし)千乗(せんじょう)を譲(ゆず)り、貪夫(どんぷ)一文(いちもん)を争(あらそ)う。
人品(じんぴん)星淵(せいえん)なり、而(しか)も名(な)を好(この)み、利(り)を好(この)むに殊(こと)ならず。
天子(てんし)家国(かこく)を営(いとな)み、乞人(きつじん)は饔飧(ようそん)を号(さけ)ぶ。
位分(いぶん)霄壤(しょうじょう)なり、而(しか)も思(おも)いを焦(こ)すは、何(なん)ぞ声(こえ)を焦(こが)すに異(こと)ならん。

節操のある立派な人間は、小国一国を得られることを他に譲り、強欲な人間は一文の金も争って欲しがる。
両者の人格には天地の差があるが、前者は財物では無く名誉に価値を見出し、後者は財物に価値を見出していることからすれば、両者に違いはあに。
天子は万乗の国家を治め、乞食は食べ物を欲して叫ぶ。
両者の身分には天地の差があるが、天子は人民の為に苦労し、乞食は自分の為に苦労するということに、如何なる差異があるだろうか。
つまり、大は大なりに、小は小なりの苦労があるもので、自分を嘆いて他人にあこがれても意味はない。
言換えれば、達人は持てば持つなり苦労があり、持たざれば持たざるなりに苦労があるものだから、安心な心で淡々と暮らしている達人は、全てを捨て去ることが出来た人間なのだ。
翻って言えば、有る者が捨て切った心境の安定度と、元々無い物を捨てきった者ではでは、同じ「無い」という状態でも、嘗ては有った者が捨て切った方が
安定度、安心度では価値があるかもしれない。
慧智(030720)