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■後集88項

纏脱只在自心。
心了、則屠肆糟廛、居然浄土。
不然、縦一琴一鶴、一花一卉、嗜好雖清、魔障終在。
語云、能休塵境為真境、未了僧家是俗家。
信夫。

纏脱(てんだつ)は只(ただ)自心(じしん)に在(あ)り。
心了(しんりょう)すれば、屠肆糟廛(とし・そうてん)も居然(きょぜん)たる浄土(じょうど)なり。
然(しか)らずば、縦(たと)い一琴一鶴(いっきんいっかく)、一花一卉(いっかいっき)の、嗜好(しこう)清(きよ)しと雖(い)いえども、魔障(ましょう)終(つい)に在(あ)り。
語(ご)に云(い)う、「能(よ)く休(きゅう)すれば塵境(じんきょう)も真境(しんきょう)と為(な)り、未(いま)だ了(りょう)なれば僧家(そうけ)も是(こ)れ俗家(ぞっけ)なり」。
信(まこと)なるかな。

束縛されることも、解放されることも、自分の心の在り方にある。
悟りを開いてしまえば、肉屋や魚屋でも居ながらにして極楽浄土である。
そうでなければ、琴を奏で、鶴を飼うような隠居や花や草を育て愛でるような清心な趣味の人間でも、悟りの障害となる魔は消えうせることはない。
北宗の儒学者である邵雍が言った言葉では、「俗世間を完全に捨て切れれば、その場がそのまま理想郷となるが、悟りの開けない出家は、在家と変わりが無い」
正に。
つまり、この世の全ての現象は、結局、心の在り方一つで幸せにもなれば不幸にもなる。ところが、悟った者は、幸・不幸というような二項対立が無くなり、心が安定して大安心の状態であり続ける。
言換えれば、達人の心境とは「大安心」以外には考えられない。
慧智(030721)