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■後集108項

人生福境禍区、皆念想造成。
故釈氏云、利欲熾然、即是火坑、貪愛沈溺、便為苦海。
一念清浄、烈焔成池、一念警覚、船登彼岸。
念頭稍異、境界頓殊。
可不慎哉。

人生(じんせい)の福境禍区(ふくきょうかく)は、皆(みな)念想(ねんそう)より造成(ぞうせい)す。
故(ゆえ)に釈氏(しゃくし)云(い)う、「利欲(りよく)に熾然(しねん)ならば、即(すなわ)ち是(こ)れ火坑(かこう)なり。
貪愛(とんあい)に沈溺(ちんでき)すれば、便(すなわ)ち苦海(くかい)と為(な)る。
一念清浄(いちねんせいじょう)なれば、列焔(れつえん)も池(いけ)と成(な)り、一念警覚(いちねんきょうかく)を覚(かく)すれば、船(ふね)彼岸(ひがん)に登(のぼ)る」。
念頭(ねんとう)稍(やや)異(こと)なれば、境界(きょうかい)は頓(とみ)に殊(こと)なる。
慎(つつ)しまざるべけんや。

人生に於ける幸不幸の境界は、全て心が作り出している。
だから、釈尊は「欲望が燃え盛れば、そこは焦熱地獄であり、愛着心に沈み込めば、救いの無い苦界となる。思いが清く正しければ、燃え盛る炎は涼しげな池に変わり、貪る心は一旦悟れば、苦界を渡っていた舟は彼岸の世界に辿りつける」
心の持ち方が少し変わっただけで、立場は不幸から幸福に変る。
謹むべきである。
つまり、人間の幸不幸は、欲望の有無に従い同じ事象が起きても簡単に変動してしまうので、欲望を持つ事は謹みましょうと言っている。
言い換えれば、達人は、欲望を超越した人間の代名詞なのだ。
慧智(030725)