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■後集111項

草木纔零落、便露萠穎於根底。
時序雖凝寒、終回陽気於飛灰。
粛殺之中、生生之意、常為之主。
即是可以見天地之心。

草木(そうもく)纔(わずか)に零落(れいらく)すれや、便(すなわ)ち萠穎(ほうえい)を根底(こんてい)に露(あら)わす。
時序(じじょ)は凝寒(ぎょうかん)と雖(いえど)も、終(つい)に陽気(ようき)を飛灰(ひはい)に回(めぐら)す。
粛殺(しゅくさつ)の中(うち)、生々(せいせい)の意(い)、常(つね)に之(これ)主(しゅ)となる。
即(すなわ)ち是(これ)を以(もっ)て天地(てんち)の心(こころ)を見(み)るべし。

草木の葉が枯れ落ちると、そこには既に春の芽生えが始まっている。
季節は陰気の凍てつく冬であろうと、やがては陽気溢れる時が来る。
秋には草木を枯らす厳しい力が働くが、春には草木を生き生きと成長させる生命の力が働き、常にこの陰陽は循環している。
即ち、これらの自然の営みに、大自然の心を知ることができるのだ。
つまり、自然現象は全て大自然の本質である「循環」が投影されているということだ。
言い換えれば、達人は一瞬の自然現象に接して、恒久なる大自然の原理原則である「循環性」という本質に気付かなければ達人とは言えないということと同じ。
慧智(030727)