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■後集96項

幽人清事総在自適。
故酒以不勧為歓、棋以不浄為勝。
笛以無腔為適、琴以無絃為高。
会以不期約為真率、客以不迎送為坦夷。
若一牽文泥迹、便落塵世苦海矣。

幽人(ゆうじん)の清事(せいじ)は総(すべ)て自適(じてき)に在(あ)り。
故(ゆえ)に酒(さけ)は勧(すす)めざるを以(もっ)て歓(かん)と為(な)し、棋(き)争(あらそ)わざるを以(もっ)て勝(しょう)と為(な)す。
笛(ふえ)は無腔(むこう)を以(もっ)て適(てき)と為(な)し、琴(きん)は無絃(むげん)を以(もっ)て高(こう)と為(な)す。
会(かい)は期約(きやく)せざるを以(もっ)て真率(しんそつ)と為(な)し、客(きゃく)は迎送(そうげい)せざるを以(もっ)て坦夷(たんい)と為(な)す。
若(も)し一(ひと)たび文(ぶん)に牽(ひ)かれ、迹(あと)に泥(なず)まば、便(すなわ)ち塵世(じんせ)の苦海(くかい)に落(お)ちん。

達観した人の風流とは、心に悩みの無い悠々自適な生活が営まれていることである。
だから、酒を無理には勧めないことで喜びとし、碁を打っても勝負しないことを良しとしている。
笛は指穴がなく、琴には弦が無い方が上品であり、会見は日時を決めない方が率直となれるし、客人は送り迎えしない方が双方にとって気楽である。
もし、一度でも世俗の礼儀、常識、慣習に囚われ拘ると、世俗の苦痛が蘇ってしまう。
つまり、損をしたくないといつも考えるような軽薄な人間は本質を考えず、形式的な慣習に心を奪われ、それを常識として親切を押し付け、慇懃無礼を励行し、しようとしながら出来なかったことで自分を虐め、他人に気を使わせるのは本末転倒ということ。
言換えると、達人とは、人間本来の在り方を見失わず、本質を見極め、自然体で生きてゆくのが正道だと解かっている人なのだ。
慧智(030724)