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■後集129項

淫奔之婦、矯而為尼、熱中之人、激而入道。
清浄之門、常為婬邪之渕藪也如此。

淫奔(いんばく)の婦(ふ)は、矯(きょう)して尼(に)と為(な)り、熱中(ねっちゅう)の人(ひと)は、激(げき)して道(みち)に入(い)る。清浄(せいじょう)の門(もん)、常(つね)に婬邪(いんじゃ)の渕藪(えんそう)と為(な)るや、此(かく)の如(ごと)し。

多情な女は遊びすぎて尼僧となり、理性を失った男は思いつめて仏道に入る。
元来は清く正しい寺院が、常に淫らな女と邪(よこしま)な男の巣窟となる理由はこんなことだ。
つまり、**内*聴や今*光のような者が邪道を説いていれば仏教が地に落ちるのも理解できる。しかし、そのような男女であれ、仏門に向い入れ、本来無一物の仏道を諭せない師家が多いのもまた事実だし、反面教師もまた教師で、野に在るよりは悟るチャンスは多くなるので、出家は歓迎すべき事だろう。
言い換えれば、達人よ、くれぐれも本物の師の教えを受けなさいということだ。
翻って言えば、本物は赤貧、無名でパフォーマンスはしないし、面と向って教えるより、背中で導く人です。
慧智(030730)