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■後集131項

人生減省一分、便超脱一分。
如交遊減便免紛擾、言語減便寡愆尤、思慮減則精神不耗、聡明減則混沌可完。
彼不求日減而求日増者、真桎梏此生哉。

人生(じんせい)は、一分(いちぶ)を減省(げんせい)すれば、便(すなわ)ち一分(いちぶん)を超脱(ちょうだつ)す。
如(も)し交遊(こうゆう)を減(げん)ずれば便(すなわ)ち紛擾(ふんじょう)を免(まぬが)れ、言語(げんご)を減ずれば、便(すなわ)ち愆尤(けんゆう)寡(すくな)く、思慮(しりょ)を減(げん)ずれば、便(すなわ)ち精神(せいしん)を耗(こう)せず、聡明(そうめい)を減(げん)ずれば、則(すなわ)ち混沌(こんとん)完(まったく)す。
彼(か)の日(ひ)に減(げん)ずるを求(もと)めずして、日(ひ)に増(ま)すを求(もと)むるは、真(まこと)に此(こ)の生(せい)を桎梏(しつこく)するかな。

人生というものは、何かを少し減らせば、少しだけ何かを越えてゆける。
もし付き合いごとを減らせば細々したことから解放され、言葉を減らせば過失を減少でき、思案を減らせば精神的な消耗はしないし、“かしこさ”を減らせば混沌の無い本来の心を実現できる。
日々に出来事を減らそうとせず、逆に増やして行こうとするなら、真実、自分持自身で自分自身の人生を束縛するようなものだ。
つまり、一日余計に生きれば、一日余分な垢がたまるのが俗人の人生で来る者拒まず去る者追わずならまだしも、人間関係なるものを拡大しようとしている老いた俗人は多弁ゆえに陰口を言われ、下手な考えゆえに馬鹿にされ、結局は疎まれて終わっている。
言い換えれば、達人の生き方は、正に現役時代に付着した垢を落として、本来の心を発現させてゆくべきものだろう。
翻って言えば、達人たる者の人生は「捨てこそ完成される」と肝に銘じておこう。
慧智(030731)