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■後集134項

釈氏随縁、吾儒素位。
四字是渡海的浮嚢。
蓋世路茫茫、一念求全、則万緒紛起。
随寓而安、則無入不得矣。

釈氏(しゃくし)の随縁(ずいえん)、吾(わ)が儒(じゅ)の素位(そい)、
四字(よじ)は是(こ)れ海(うみ)を渡(わた)るの浮嚢(ふのう)なり。
蓋(けだ)し、世路(せろ)は茫々(ぼうぼう)とし、一念(いちねん)全(まった)きを求(もと)むれば、則(すなわ)ち万緒(ばんしょ)は紛起(ふんき)す。
寓(ぐう)に随(したが)いて安(やす)んずれば、則(すなわ)ち入(い)るとして得(え)ざること無(な)し。

仏教でいう「隋縁(縁起)」、儒教にいう「素位(中庸)」の四字は、人生という海を渡る際の浮き袋となる。
思うに、人生航路は、広々として果てしもく、完璧主義を求めれば全てにゴタゴタが起きる。
現に在る状態に応じて安らかにしていれば、何処に行っても安らぎを得られない事はない。
つまり、究極的は「在るがままに生き」「足るを知る」事こそが人間として生きてゆく上の最上の心持と言うことになるのだろう。
言い換えれば、この菜根譚という教訓集であり心学の最後の教訓こそが「結論」と考えても良く、達人の在り方のゴールといえるだろう。
慧智(030731)