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ご心配を頂いた皆様へ

 本日、私は4年6ヶ月におよぶ闘病期間に終止符を打ちました。
 20代からの心身の酷使から、肝炎、肝不全、肝硬変、食道静脈瘤、肝細胞癌、胆管細胞癌、脾臓癌となり、その進行速度から、医師団により平成14年12月に余命6ヶ月と宣告されました。宣告を受け、数日間、心は迷い、残された期間を如何に過ごすかに心を奪われた時間もありました。しかし、如何に過ごすかなど考えるのも無駄な程、残された時間が僅かなことに気付き。先ずは、身辺整理と心身の不調和を修正しようと5日間、大子の活人禅寺にある小さな薬師堂に篭り坐禅に没頭しました。そして、皆様に末期癌であり余命幾許も無い由を告げさせていただきました。
 その時から、皆様方からのご配慮、ご助言、ご指導、ご支援が始まり、私の支えとなりました。その後、手術が出来ないことからも、西洋医学的対症療法とは決別し、何事も全ては“あるがまま”を受け入れ、“御縁”に随い皆様からお届けいただいた全てを受け入れ、それを“ご縁療法”と称して今日に至りました。 勿論、その中には医師とのご縁もありましたが、それが無料である限り、ご支援を受けました。私にとっては“無料”であることが大事でした。お金が無いわけではないのですが、己の命を金で買うような不謹慎なことはしたくなかったのです。死ぬ時は死ねばよかろう。生きる時は生きれば良かろう。全ては己の内なる仏である自然の力に委ねる事こそ、私らしいと考えたからです。正直、最後の最後まで、“一人で立って、働き、坐り、寝て起き”、立てなくなったら薬師堂で、私の師の多くががそうであったように、威厳・尊厳を以って“坐して死す”覚悟を決めておりました。
 その為には、少なくとも、余す命を燃え尽くそうと思い、“一日を一生”に準えて今日まで生きてきました。
 平成15年(2003)6月24日、命日の予定日が過ぎ、一年、二年と、ステージ4(末期)のまま生き恥を曝して生き続けましたが、平成18年六月、“奇跡的(確率0,3%)”に癌の進行が停止し、診断の結果、テージ(期)が一段階下がり、それまで連続的に続いていた激痛と過剰腹水、食欲不振、全身倦怠感、骨そしょう、全身痙攣などなどを伴う血管侵襲多発性癌腫(全身への転移を伴う)が、勢いを失い、直径2センチ以上ではあるが“進行が極端に緩慢となり、癌が“瘡蓋化”して“休火山”状態となったいるという診断を頂き、奇跡的に余命宣言が取り消されました。 しかし、それでもステージ3(三期)で常時症状を自覚し、時に激痛もありましたし、腹水には困り果てていました。まあ、貫禄があり健康そうに見えるから都合が良いと思いつつも、太い注射針で10日おきに2リットル近くの腹水を抜くことは大変でした。
 あれから一年、本日、東京国立癌センターの医師団から「臓器に非進行性の腫瘍が固定し、未だに癌であることは変わらないが、6か月以内の死亡の確率は50%以下、3年生存の確率は30%近い」というコメントを頂き、四年前の「6ヶ月以内の死亡確率99%という宣告、3年以上生きられる確率はゼロに近い」と宣告されたことに比べると、「完治しましたよ!!」と言われたのと同じようなものです。
 勿論、養生は続けますが、それは誰でも同じこと。人間、誰にも“明日”は解らないのです。そういう意味からすれば、誰でも余命は今日一日であり、確率論からすれば、誰でも、明日死ぬ確率は百万分の三なのですから。
 さて、生きるということは一日一日の積み重ねであり、結果は自然なるものです。つまり、如何なる事実であろうと運命に抵抗して心をすり減らすより、事実をあるがままに全面的に受け容れるしかないのです。しかし、それは諦めるということではなく、自然の流れ、縁に委ねるということで、事実を消極的に受け容れるのではなく、積極的に受け容れることでしょう。勿論、悲観的でも楽観的でもありません。心を無にして受け止めるのです。
 今回、癌と共に歩みながら多くを悟らせて頂きました。毎日が悟りの連続でした。思うようになることは何も無い。苦しんでも一日、無心でも一日。只只、出来る事に全力を集中して生きていれば、楽もないが苦も感じませんでした。正に苦楽一如を実感しました。
 死ぬ覚悟より生きる覚悟の方が重い。・・・・俗な表現をしてしまえば、正に「闘病とは成仏へ道」に他ならなかったのです。不思議な事ですが、死ぬと決まってから活き活きと生きた気がします。明日からは、この貴重な体験を活かし、新たな道に足を踏み入れようと思います。一日一生、一生一日。ご縁に随って歩歩是道場、娑婆の修行に励んでまいります。皆様とはご縁があり、これからも続くでしょう。その素晴らしいご縁に感謝しつつ、病状のご報告と、皆様への感謝の気持ちを述べさせて頂きました。本当にありがとうございました。
 皆様の精進は日々の健康の賜物。梅雨時ですが、張り切ってお暮らしください。
末筆ですが、涼しくなりましたら快気とは言わず“回帰祝い”の場を設けさせて頂こうと考えていますので、時期がまいりましたら、ご連絡させていただきます。 
合掌
平成19年(2007)7月11日 小林惠智(慧智)

№1099 2007-07-11

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