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あれから1年“坐禅”の効用

 昨年(2003)の今日、12月24日、癌で余命6ヶ月を宣告され、余りの衝撃に悶々としたことが昨日のように思い出される。病状を聞けば、とても快復するなど考えられないというのが事実だろうが、一年後である今日、私は生きているし、癌は“一臓器”と化して我が体内にある。つまり、進行は止まったが消え失せた訳ではなく“仲良く”暮しているという状態だ。
そこで、発病から告知、告知後の生活と今の心境を、ここで述べるので、皆さんのイザという時の心構えの一つにして頂ければ幸いである。
1、 発病当時、原因の心当たりは無かったが、告知後の年末年始の数日間、誰にも話さず、只管に坐禅を組んだ。しかし、3日目にしても不安を払拭できなかった。12月31日は事務所に出たが、掃除をする気力もでずに呆然としていた。机の上を見て「片付けなければ」と思うが、それをすると“終わってしまう”ような気になり何も出来なかった。その時点でも実は半信半疑であり、左胸と左腹の痛みと痙攣、強度の背中と肩こり、耳鳴り、左半身の痺れ、38度の高熱・・・。心は「何かの間違えだろう」とも、「無理したからな・・当然かな」「4人の祖父母を癌で亡くしなっているのだから隔世遺伝だろう・・な」・・・。何をしていても総轄できない現実に心が揺れた。ふと、逆療法もあるかなと思いサウナに行った。110度のサウナと19度の水風呂に交互に入りフラフラとなったが、気分がよくなった感じがした。しかし、不安は一向に治まらない。家に帰り、坐睡。長い間、横になって寝ることは少ない日常が続いたが、ここ数日はソファーに横になってやすんでいる。しかし、長い習慣のせいで3時間以上は眠れない。そして起き上がる、坐るを繰り返している。元旦の朝4時。外は未だ暗い。自宅の机の上から東京タワーの展望台に『2004』という文字が明々と浮かび上がっている。その時、「生きているというのは一日一日の自然な積み重ねで、誰にも明日のことは解らない」「半年の命なら尚更、一日一日を全力で生きよう」「迷惑をかけないような旅支度をしよう」・・そんな思いが忽然と湧いてきた。すると気分は上々。「明けましておめでとう」という声も自然に出た。そして、多少の“おせち料理”を口にしたが、食欲は出ない。心身一如とは言うが、心の変化に比べて身体の変化は遅い。午前中は坐禅をしながら、今後の行動を考えた。一つ、起きていられなくなるまでは普通に仕事をする。二つ、何人かの医者に再度診断をしてもらう。三つ、会社の経営を次の世代に委ねる。四つ、身辺整理。細かな事も浮んだが、そうと決まれば一日一生。大いに張り切った。2月頃、数箇所の病院で同じ結論を出されたが、最初の診断を受け入れたせいか心は動じなかった。「生きる時は生きよう、死ぬ時は死のう」、ただそんな思いがした。不思議なもので、私が健康であるか否かに関わらず、周囲にはイロイロな事が起こった。実に馬鹿げた事もあり、少し前の自分であれば“喧嘩沙汰”とするようなことも受け流した。馬鹿げた事に時間を割いているいる閑は無かったからだろう。4月ごろ、近親者に病状を告知するが、皆“半信半疑”のようだった。考えてみれば、髪が白くなった訳でもなく、痩せ落ちた訳でもないからだろう。しかし、アッという間に話が流れ、沢山の知人から、沢山の良薬が送られてきた。その量は納戸がいっぱいになるほど。ありがたい限りだ。中には、ドサクサ紛れに商売にしようとしたのか高額な請求書が入っていた物もあつたし、とても口に入れられないような奇妙な物もあった。しかし、皆の善意に「これを残しては死ねない」と思い、片っ端から服用したりした。医師からは、抗がん剤、放射線療法、ミニ移植を奨められるが、何れも後遺症があるようで、残された時間を考えると、延命のための西洋医学に頼る気が失せ、皆の好意、つまりは『ご縁』に賭けようと思い、病院には検査にのみ行こうと決めた。勿論、嘗て無い思いで一日4-5時間は坐禅は行なった。腹式呼吸で2-30分も坐ると身体の声が聞こえだす。「鼓動が“淡々と生きろ、淡々と生きろ”」と言っているように聞こえ出す。ところが、この頃、一日に一回は内臓が痙攣して全身が硬直した。俗に言う“攣る”という状態で、気を失わなければ生きていられないほどの痛みが出た。痛みの中で薄れ行く意識、正直、このまま死んでしまえば楽だろうな、と思ったことも何度もあった。しかし、不思議な事に1時間もすると痛みが治まり、平生より“楽”になった。そして、痙攣にも慣れが生れ、それが来るタイミングが解るようになるのと、それから逃れる業が自然と身についてきた。しかし、それが確実であるわけではなく、新幹線で出張した時など、名古屋あたりで気を失い、東京では救急車沙汰になったこともあった。しかし、それでも一日一生と心として坐禅と仕事、「ご縁を頂く(このころ“ご縁療法”と名付けていた)」毎日は続いた。病状につては一進一退を繰り返していることが毎週の検査で自覚できた。その時、進行には間断があることに気が付いた。つまり、疲憊へとまっしぐらに進んでいるのではなく、進んだり止まったりしているということだ。そこで、どんな時に進行し、どんな時に停滞するのかを考え始めた。坐禅をしていると患部が熱くなるのを感じた。特に息を吐き切る時にはハッキリと感じた。そこで、出来る限り早く吸い、出来る限りユックリと吐く様にした。1時間も“それ”をしていると全身が熱くなった。元気な細胞が癌細胞を「大人しくしろ、大人しくしろ」と宥めているように感じた。一日一生を生きていると、半年とは長いようでもあり短いようであった。6月、いよいよ期限が迫った。しかし、検診の度に、医師は、「何故か落ち着いているようだな」と繰り返し、毎回行なわれる精密検査に加えて血管から患部の細胞を取り分析しようと言い出した。当時、自覚症状としては慣れの為か快復に向っているように思えていたが、医師は経験から末期であることという認識は変えていないようであった。
→文章容量の関係で次回に続く。

慧智(041214)
№635 2004-12-14

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